挨拶を忘れないようにしています
我が家の子供が言葉をたくさん覚えていた頃ですが、ちょうど反抗期もまっさかりということもあり、話しかけてもすぐに返事をしないという時期がしばらくありました。
最初は「おはよう」といった言葉をかけてもまったく無視をしたり、何か話しかけても反応をしなかったりということがあったときには叱って正させるようにしていたのですが、なかなか直してくれずにだいぶ苦労をしたのを覚えています。
その時に子供から「なんで挨拶しないといけないの?」「返事なんてしなくても聞こえてるんだからいいじゃん」といった質問をされて、生意気なことを言うなと思いつつもそういえばどうしてなんだろうと自分に問いかけたということをよく覚えています。
そんな中で私が行き着いたのが、挨拶や返事をするということはそれが相手を尊重して感謝の気持ちを示すものだという結論です。
子育てに関する話題でよくあるのが、家族で飲食店に行ったときに「ごちそうさま」というのはお金を払って商品を買っているんだからお礼を言うのはおかしいという話題です。
全ての若い親がそうだとは思いませんが、そうした「感謝」という気持ちを全く考えない金銭と物質の取引としてのみで人間関係を考えるようになってしまうのは大変寂しいことのように思います。
感謝の気持ちは言葉にしましょう
うちの父親なんかがまさにそうだったのですが、母親や他の家族から何か親切をされても素直に「ありがとう」という言葉を言えない人でした。
それも昔の価値観なんでしょうが、何か人からされた時にお礼を言ったり感謝の態度を示すのはまるでものもらいにでもなったかのようで、自分が見下されてしまったように感じていたのかもしれません。
ですが実際の人間関係ということでいえば、親切心で何かをしたりものをあげたりしたとき、「ありがとう」の一言があるかどうかでその人への評価は大きく違ってきます。
たった「ありがとう」の一言があるかどうかで次回の親切を受けることができるかが決まるなら、自分が見下されたかもしれないというような余計な心配を考えることこそナンセンスのように思います。
私自身が誰かに親切にしたりするときに相手から「ありがとう」と言われたからといって相手が自分よりも下になったなんて考えたことはありません。
私の父親がそうだとはあまり考えたくはないですが、もしかしたら素直にお礼を言うことができない人というのは、何か自分がするときに相手からの見返りを期待しすぎてしまっていたり、常に誰かから見下されることを恐怖しているということなのかもしれませんね。
最初は照れくさかったけどすぐに慣れます
感謝の言葉については夫ともよく話し合いをしたことで、今ではちょっとしたことでも意識して言い合うようにしています。
最初に話のきっかけになったのがお互いの家事のことで、夫が体調があまり良くない時にいつものように掃除をしたあと、それに私が「あ、そう」くらいの返事しかしなかったということでケンカになったということがありました。
そこで話し合いでどんなときでもお互いに家事をしてそれが終わったという報告をしたら「ありがとう」と言い合うことを決めたのでした。
はじめのうちはなんとなく無理やり言っている感じがありましたが、今ではすっかり慣れてちょっとした点呼作業くらいにもなっています。
気持ちが入っていない「ありがとう」には意味が無いという人もいるかもしれませんが、ずっと何も言わないで感謝の気持ちだけを一方的に持っているよりも、仮に気持ちが完全にこもっていないとしてもきちんと言葉で伝えてくれた方が受け取った方は何倍も嬉しいものです。